小説 多田先生反省記
9.個人授業
後期の授業が始まって間もなく大野や神崎らの合間を縫って新顔の学生が研究室に遣って来た。教室ではいつも最前列に座っていて、御定まりの与太話の段ともなればついつい飛び出す私の唾汁を浴びている宗像だった。
「多田先生、商学部の宗像です。ちょこっと相談のあってきましたばってん、ちーとヨカですか?」
ドアを半開きにしたまま、体を屈めるような構えで、その尖がり頭だけを研究室の中に覗かせるようにして、窺(うかが)いを立ててきた。
「中へどうぞ」
入ってくるなり緊張しているのか、ドアを背にして棒のように突っ立っている。高校生のような初々しさはあるものの、何処とも無し老けているようにも見える。私の机と向かい座に備わっているソファーに坐るよう促した。
「すんません。失礼します」
「相談って何?」
「あの、僕、商学部です」
「はい、それで?」
「僕、兄弟のおらんとですもん。いや、ネーちゃんはおるとばってん、一人っ子ですたい」
父っちゃん坊やの雰囲気を漂わせている宗像が徐に切り出した話はどうにも要領を得ないが、じっくり聞いているうちに筋が通ってきた。母親は初婚なのだが、父親は再婚でその娘は既に嫁いでいる。家に残っているのは息子の宗像一人きりなので、独り子だということになるらしい。
「何軒か家ば持っとりまして…ぼろ家ですばってん、貸しとぉとです。要するに父ちゃんはそん家、貸しとって金ば稼ぎよるとですたい」
「なるほどね」私も博多のコトバにはいくらか馴染んできている。
「僕はですね、城南高校から大学さ来たとです」
「僕も中・高一貫教育の学校でね。大学はどうしようかなと思っていたら高等学校の二年生になって大学が出来ました。それでそのまま大学に進みました」
「学修院じゃなかったとですか?」
「それは大学院だけ。中学校から大学まではドッキョウです」
「坊さんの学校ですか?」
「その読経じゃなくてね、ドイツ語を教える学校ということに名前の由来のある学校です」
「そげんですな。そんなら、えらい古か学校ごたりますね」
「明治の頃に創設された学校でね…」
「城南学院はですね、そげん古かことなかですばってん、博多では、坊ちゃん学校ですたい。高校では毎朝チャペルで礼拝のあったとです。僕んがい(家)は仏教ですけん、僕ん背中にかろうとる仏さんとキリストさんが互いに喧嘩しよったごとあります」
「背中にかろうとる」というのは背負っているという意味らしい。纏まりのない話が暫く続いたが、やがて宗像は自分の行く末を語り出した。大学院に進んで将来は大学の先生になりたいようだった。あまり学者向きとは思えないが、こんな私でも今では大学の教壇に立ち、この夏休みには中川と読み合わせてきた書物をネタ本にして曲がり形にも論文を書いてその原稿を出し終えたところなので、その辺りは何とも言えない。
「そいでですね、大学院さ行くんやったら英語のほかにドイツ語も勉強しよらな、いけんごつあるって聞いたとです」
「それでドイツ語をしっかり勉強しているってわけだね」
「はい。先生の授業は面白かです。ばってん、もっと勉強ばせんいかん思ぉとっとです」
愚にも付かぬ与太話は好い加減にして真面目に授業をやれと云う為にわざわざ研究室まで出向いて来たのかと胸を突かれた。私の出た獨教学園で国語を担当してくれた国松は与太話に終始していた。時には運動場が空いているかどうかを生徒の一人に確かめさせては授業を打ち捨てて一緒に野球に興じることもあった。矢張り教室の一番前で授業を受けている一人の生真面目な生徒がそうした授業態度に抗議を申し立てたが、国松は構わず、ともすれば卑猥な話に明け暮れて碌すっぽ真面(まとも)な授業をしたことはなかった。私が高等学校を終えたその春に東京のとある国立大学に招聘された国松は、藤田の言に依れば大学でも相変わらずの講義風景だという話である。私は授業の合間に雑談をしているのだし、綽名をエロ松と云われていた国松とは違って、授業の息抜きとしての用を弁ずる与太話であり、どこまでもドイツ語授業の一環なのだから、これは外すわけにはいかない。抗議の鉾先を転じた。
「いい心がけだね。それで、参考書の相談?」
「いや、先生に個人授業ばお願いできんか、思いよります」
私は胸を撫で下ろした。父方のおじは英文学者だったが、やはり学生に請われて個人授業をしていたと聞いたことがあった。
「いいよ。でも、ここは研究室なんでね、授業をする訳にはいかないから…そうだな、僕の下宿に来るかい?」
「ヨカですか?教えてくれなはっとですか?ほんなごつ、下宿さ行ってもヨカですか?嬉かです。」
早速、次の週から始めることにした。宗像は有らん限りの授業を履修していて、夕方遅くしか閑暇が得られない。お酒はからきし下戸ということだし、日の暮れかかる頃合いの個人授業となると私の心が落ち着かない。そこで土曜日に午前中の授業を終えたら食事はせずに下宿に来るように云い付けた。おじは個人授業を終えるとその都度ウナギの出前をおばに所望していたらしい。ところが、給料日前あたりになると、おばは「生憎ウナギ屋さんはお休みでした」とザル蕎麦で誤魔化していたこともあったようだ。私は寿司を取り寄せることにした。
「うわ、寿司ば取ってくれたとですか。先生、月謝はどげんしましょう?」
「そんなもの、要らないよ。勉強しようって心意気が嬉しくてね」
「あっちの部屋におらっしゃぁ人は見かけたことありますばってん、誰でしたかいね?」
「法学部の神埼君。君と同じ一年生。さっき恨めしそうな顔して覗いていったけど、あいつには時々インスタントラーメン食わしてるし、夜は酒のお相伴をさせているからいいの」
「ほんなごつ、ラーメンの丼の二つあるとですね」
「大きさ違うでしょ。でかい方は神崎君が買ってきた丼でね、この電熱器で煮て分けてやると、『先生、僕の方がちーと少なかです』って云うんだけどさ、それは奴さんの丼が大きいからそう見えるだけなのに、そこんとこがよ〜っと分っておらんのよ」私のコトバ遣いも奇妙になってきた。
「君、商学部の先生には大学院のこと相談した?」
「ええ、会計学の太宰先生さ、聞いてもろたとです。太宰先生は神戸大学ば出よりますたい。僕も商学部ですけん、大学院は神戸大学に行こう思ぉとります」
「太宰先生、ああ、あの関西弁の若い先生ね…そうだ、あの人も僕と一緒の着任だった」
「ばってん、あん先生は久留米の出身ですたい。今は久留米から通ぉとらっしゃぁとです。独身で母ちゃんと二人暮らしんごたります。そん母ちゃんは税理士ばしよるとです」
なかなかの情報通でもある。
「何て云ってた?」
「まあ、きばんなはれって」
それだけだったようである。飯を食べてからドイツ語の勉強に移る筈のところがその後も宗像の生い立ちや住まいの辺りの世間話がいつまでも続いた。
「うちの方は田舎ですけん、街ん中と違(ちご)ぉて、こげんしとらんとですもん。えらい、悪ガキばうんとこおってですね」
「うんこ?」
「うんこやのうて、うんとこです。うんとこ云うのは仰山いう意味ですたい。僕は城南高校に入ったばってん、あん辺りのもんは、なかなか、よう城南高校さ合格でけんですもん。僕はですね、本当のことば云いよりますとですね、城南ではのうして、高専さ行こう思ぉとったです。中学校の同級生ゆうたらアホばっかりおってですね。云わんどってくださいよ、喰らされますけん。あ、喰らす、いうのはですね、殴るちゅうことですたい」聞いたことのないコトバがポンポンと出てくる。
「そうそう、そげんですたい。僕は高専さ行く筈だったとですもん。福岡じゃ、久留米に高専のあるとですたい。なんちゅうたかてくさ、あ、すんません。こげん気安か言い方ばしよって。なんちゅうてもですね、高専では教授がおらっしゃぁとですけん」
確かに高等専門学校では教員は教諭ではなく大学と同じ身分の呼称となっている。
「もう中学ば終わって高専さ行きよったら、大学生になったごたる気分になろうか思ぉてですね。高専ん入試ば受けたとです。受けただけでですな、そいでもう、発表んある前から受かった思ぉとりましたとです。腹ん中じゃ同級生に向こぉてですな、俺はお前らみたいな馬鹿チンと違ぉして、教授に教わるんじゃけんね、どげんもんじゃい、思ぉとりましたたい」
どうにもそそっかしい学生である。
「なるほど、それで?」
「そいで合格発表ば見に行きよったばってん、どこ探しても僕ん番号のなかですもん。なんかの間違いじゃなかろうか思いよりまして、何回も見よったばってん、なかったとです。落ちとったですもん。帰りん電車ん中ではですな、はぼろぼろ涙ん出てきよりました」
「高専となると確かにね、そう簡単ではないでしょうね」
「あん馬鹿チンの同級生に恥ずかしゅうしてですね、どげんしよか思いよったとです。そげんしたら、城南高校で二次募集ばしとりましたけん、城南ば受けたとです。高専は偏差値の高かばってん、城南やったらそげんなかけん、間違いのう受かっとろぉ思いよったですたい」
「それで城南高校に進学したわけ?」
「世ん中そげん甘かごつなかですたい」
確かにそうだろう。ほぼ検討がついた。
「これも合格発表で僕ん名前なかったとですもん」
然もありなん。早く先が聞きたいところだが、じっと胸に畳んだ。
「なし、こげんに、ふの悪かやろか思いよりましたとです」
「何が悪いって?」
「あ、ついとらん、いうことですたい。こっちでは運の悪か事、そげん云いよりますたい。こん時もですね、どげんしようか思いよったらですね、ぼろぼろ涙ん出よったです。なしじゃろうか、なし落ちたんじゃろうかってですね。どうやって家さ帰ったか、よぉと覚えとらんですもん」
決して大袈裟に云っているのではないことが偲ばれる。
「そいでですね、こりゃ修猷館さ行かな、いけん…思いよりましたい」
修猷館といえば昔の藩校で、福岡随一の進学校としても名の知られている高等学校である。これは私が聞き損ねたようだ。「修猷学館」という中学生向けに高校受験対策も施している予備校のことだった。
「そげん思いよって家さ帰ってきてですね、母ちゃんに『また落ちとった』云うたらですね、城南高校から電話んあって『補欠合格にするばってん、それでもよかかって、云うてきたぁ』聞かされたとです。いや、嬉しかったとです。そいで城南高校に入れたとです」
毎週、土曜になると宗像は寿司を抓(つま)んで、あれこれ饒舌な博多弁を披露してくれて、すこしばかりドイツ語を勉強してゆくのだが、宗像も帰るたびに玄関先の犬に吠え立てられて、「ひゃ〜、魂(たま)がった!」と大声を張り上げて帰ってゆく。